ある滞西録

アンネ・フランクの家に行く

アンネの日記を初めて手にしたのは小学生のときだった。

確か近所の図書館から、児童書として簡略版化されたものを母親が借りてきたのだった。小学校では日記が流行っていて、わたしは無邪気に感化され、アンネよろしくキティと日記帳に名づけて日々の記録をしたためていた。

もちろんナチスホロコーストも知らなかったが、いったい10歳の当時、自分はどのようにそれを咀嚼していたのだろうか。

今、アンネの日記アムステルダムに向かう機上のわたしのKindle端末の中に入っている。十数年の時を隔ててアンネの日記を再読するのは、今回アムステルダムアンネ・フランクの家を訪れることにしているからだ。

 

アムステルダムは運河の街だ。朝市に向かう途中の景色は忘れるまい。冬の朝らしくミルク色の靄が薄くかかり、運河沿いに肩を寄せ合うように立ち並ぶ家々の輪郭を曖昧にしている。冬の北ヨーロッパの一瞬の晴れ間は、まるで神が気まぐれに地上に与えるプレゼントのようだ。人間たちはとたんにベランダに出て、頬にそのつかの間の喜びを享受する。

跳ね橋がゆっくりと上がり、そこを小舟が行き交う光景は油絵に描かれる世界そのものである。数台の自転車がわたしを追い越していく。もうじきに、街が目覚めはじめるのだろう。

 

アンネ・フランクの家も、そんな運河沿いに建つ。隠れ家生活のなかでアンネが時間感覚を保つ唯一の頼りとしていた、隣にある西教会の時計塔も今日まで健在である。受付でオーディオガイドを借りる。数々のヨーロッパ系言語のなかで、唯一アジア系としては日本語が用意されていることに驚く。日本人の訪問が多いということなのだろうか。

隠れ家は、アンネの父オットーが営む会社の建物の後ろ側にあり、オフィス部分とも繋がった構造になっていた。フランク家とファン・ペルス家、そしてのちに歯医者のプフェファー氏が加わり、2年間の共同生活は8人で営まれた。オフィスの3階部分の廊下奥、本棚のように細工された秘密の扉が「後ろの家」である隠れ家への入口である。隠れ家は意外に大きく、しかし8人で住むにはどう見ても窮屈なのだった。

家具類はすべて、ナチス・ドイツによる住人の連行後に押収され、今もがらんとした空間が残るのみである。アンネの自室は、窓もない薄暗い小部屋である。アンネの日記はこの部屋で綴られた。ただし、途中から歯医者のデュッセルさん(プフェファー氏)と相部屋になり、彼女は氏と折り合いが悪く、物書きをする机の取り合いは熾烈を極めたようだ。こんなに狭い部屋で、と思わずため息が漏れる。屋根裏へ続くはしごは登れないようになっていたが、この上でアンネはピーターと語らい、恋をし、一緒に外の世界をながめて窮屈な隠れ家生活のなかにつかの間の安らぎを見出していたのだ――

 

わたしたちはふたりしてそこから青空と、葉の落ちた裏庭のマロニエの木を見あげました。枝という枝には小さな露のしずくがきらめき、空を飛ぶカモメやその他の鳥の群れは、日ざしを受けて銀色に輝いています。すべてが生きいきと躍動して、わたしたちの心を揺さぶり、あまりの感動に、ふたりともしばらく口もきけません。

・・・そこからは、アムステルダム市街の大半が一目で見わたせます。はるかに連なる屋根の波、その向こうにのぞく水平線。それはあまりに淡いブルーなので、ほとんど空と見わけがつかないほどです。それを見ながら、わたしは考えました。「これが存在しているうちは、そしてわたしが生きてこれを見られるうちは――この日光、この晴れた空、これらがあるうちは、けっして不幸にはならないわ」って。(『アンネの日記』より)

 

アンネの世界のすべてだったこの場所で、彼女の感情と自分の感情がリンクする気がした。初めてアンネの日記を読んだ子どものころ、アンネは時代的にも地理的にも、想像もつかないほど遠いところの女の子だったが、今わたしは彼女が生きた場所に立っている。

日記を読めばアンネは特別な少女ではないことが分かるし、むしろ短気で愚痴っぽく、攻撃的な面もよく見える。彼女は、後世の人間によって、反戦のシンボルとしていささか聖人化されすぎている気もする。

友人や周囲のことを無邪気に綴る日記前半から、長引く隠れ家生活のうちに徐々に内省的な記述が増える後半。14歳のアンネの語りは、ヴィクトール・フランクルが『夜と霧』であらわした、人間心理の考察にも共通するものがあるのである。

 

どんな富も失われることがありえます。けれども、心の幸福は、いっときおおいかくされることはあっても、いつかはきっとよみがえってくるはずです。生きているかぎりは、きっと。(『アンネの日記』より)

 

アンネ・フランクの家で思ったことを、わたしはこれからもうすこし整理せねばならない。それにはしばし時間が必要で、わたしの知識は浅薄だし、アンネの日記ももう一度読まねばならないという気がしている。

“To build up a future, you have to know the past.”

壁には、彼女の父オットー・フランクの言葉が記されていた。

この世界のうちには、わたしの知らない、けれど知るべき過去がまだどれほど残されていることだろうか。旅とは先人が残した過去の記憶を拾い集める作業。そう思っている。