ある滞西録

旅の途上 経由地ヘルシンキにて

関空を発ち、ヘルシンキに向かう機上にいる。大阪の夜景がみるみる遠ざかり、故郷の風景や家族の顔が浮かんで胸を締め付ける感傷に少し涙ぐんでしまう。時折、わたしは自分がいつまでも大人になれない子どものように感じる。

少し眠り、目を覚ますと窓の彼方に朝が広がろうとしていた。広大な雲海の東のはじが朝焼けに染まっている。ベーリング海峡の上空を飛んでいるようだ。しばらくの間みとれて、何枚も写真を撮った。いつの瞬間も、地球上のどこかでは朝が迎えられている。そのような営みが悠久の年月繰り返されていることは奇跡のように思われる。


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ベーリング海峡上空の朝

 

再び目覚めると、すでに夜の領域へと入っていた。地平線の方では目線の高さに星が輝き、命を終えた星たちがいくつも、すっと落ちていった。天球の丸さが目に見えるような気がする。しずかな感動にうたれた。フライト情報を見ると、ちょうど北極の付近を通過しているところだ。オーロラが現れないかと、乗客が寝静まった機内でずっと窓の方へ目を凝らしていたが、深い夜空の天幕に星々がまたたくばかりだった。

 

朝5時、乗り継ぎ地のヘルシンキ・ヴァンター国際空港に着いた。外は一面の銀世界で、気温は氷点下7度。冬の北欧の夜明けは遅い。空港内を行き交う人の姿もまばらだ。

今回の一時帰国を思い返せば、短いながらも何かとても重要なことを認識できた気がしている。帰れてよかった。

 

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星野道夫長い旅の途上』と機内で配られた北極航路通過証明書

 

わたしもまだ旅の途上にいる。一義的にはこの夕方にはマドリードに向かうのだが、大きな視点で見たとき、わたしはこれからどこに流れ着くのだろうか。或いはどこにも着かないのかもしれない。自分とは自分自身の人生をただ偶然に通過する旅人のような気もしてくる。


日の出まであと数時間。もう少しすれば、さっき機上から見た同じ朝がフィンランドにもやってくる。新しい場所に降り立てた今日の一日が始まるのを、待っている。