ある滞西録

リスボン、七つの丘の町

七つの丘の町、リスボン。すばらしいパノラマを約束する、七つの丘の展望台。その上一面に、高く、低くつらなる、色とりどりの家々。それが、リスボンだ。
フェルナンド・ペソア

 

空港で搭乗を待つわたしのスマートフォンに、ペソアの一篇の詩をのせたメッセージが舞い込む。七という文字が目に入ると同時に、共感覚のように脳裏に鮮やかな色彩がひろがりはじめる。七色の町リスボンの心象であった。

いくつもの搭乗口を横目に、リスボン行きのゲートへ向かう。それぞれの扉に地名が掲示され、ひとつひとつがわたしの見知らぬ遠い土地へ開かれている。どこかに存在する知らない街のことを想像すると、ぼんやりした切なさが満ちてくる。
世界のどこかへ発つ人びとに囲まれて、彼らのもわたしのも吐く息は白く、曇り空の一日を地平線の向こうへ追いやって、夜は濃度を増している。ここから1時間足らずの飛行でリスボンだ。



1日目
リスボンの夜はこちらの襟元をゆるませるような暖気に包まれていた。空港からタクシーで宿に向かう道中、運転手が今日はスペインからの王政復古を記念する祝日だったのだと話していた。車窓から見える街路樹がモビールのような紅白のハートの電飾をまとって愛らしい。わたしはこの街を好きになるという予感がした。
日付も変わった頃、バイロ・アルトと呼ばれる飲み屋が密集する地区に出かける。たいそうな賑わいを見せる通りの一角にこじんまりとした小料理屋を見つけて入る。ヴィーニョ・ヴェルデ(グリーン・ワイン)を口にすると、すぐに幸せな気分に満たされてしまった。ホテルに戻り、あたたかい布団の中でしあわせに眠った。


2日目
カーテンの隙間から差し込む陽の光は、人間を戸外へいざなう引力に満ちていた。上着もいらぬほどの暖気にうれしくなりながら、リベルダージ大通りを歩いていく。道のわきには蚤の市が立っていた。通りの両側の背の高いプラタナスの並木がゆるやかに内向きのアーチを描き、薄緑色のトンネルを編んでいた。太陽が木漏れ日となって注ぎ、水路のせせらぎや、市に並んだガラス細工の鳥の翼でさまざまに乱反射して、無数のきらめきを散らしていた。ヨーロッパに住みはじめてからの1年、これほど輝きに満ちた光景の中に立ったことがあっただろうか。

街じゅうにクリスマスのイルミネーションが施され、日没後のロマンチックな光景が目に浮かぶようだ。建物のすきまを縫うように走る黄色いトラムに揺られて、リスボンを一望する丘に登る。建物の向こうに一瞬大西洋がのぞき、その近さにはっとする。イベリア半島の西の端に来た。リスボン、七つの丘の町。丘の上から眺めれば、赤茶色の屋根の家々と、石畳の通りと、その向こうに光る大西洋がまぶしいコントラストを成している。なんとうつくしい瞬間だろうかと静かな感動が到来してきた。

ポルトガル雑貨を扱う店に立ち寄り、素敵なデザインがあしらわれた魚の缶詰を購入する。この国の雑貨はどれもこれも、なんと愛らしいのだろうか。レジの男性は、ぼくはアナザー・ライフでいつか日本人だったと思うんだと穏やかに微笑みながら缶詰を包装してくれた。

午後はアルファマ地区の蚤の市を冷やかし、タイル美術館でアズレージョを堪能した。夜はポルトガルのアーティストのライブに行く予定で事前にチケットを買っていたが、着いてみると会場を間違えていたことが分かった。移動するには間に合わない。けれど豆電球に彩られたその屋上で通りの喧騒を眼下にポルトガルワインを嗜んでいると、そんなことはどうでもよくなってきて、むしろこれは必然ではなかろうかという気すらしながら、聴くことのなかったアーティストの音楽を少し想像した。街の宴はすっかり深まった夜のなかでなお続いていた。

 


3日目
ベレン地区の通りのファサードは、それぞれが個性的なアズレージョで装飾されており、その緻密で多様なデザインを観察していると、つる草に飾られた幾何学模様の迷路を辿っていくような心持ちになる。

エッグタルトの有名店パステイス・デ・ベレンで一箱買い求め、近くの広場に座って食べた。クリームたっぷりのエッグタルトは香ばしく、胃袋が温かく満たされる。

ジェロニモ修道院では折りしも日曜日のミサが執り行われていて、わたしは聖歌隊の歌声を厳かな気持ちで聴いた。そのうちに、教会とは、それだけでは永久に未完で、祈りを捧げる人間を収容してこその実存なのだということをふと了解した。教会建築は人の祈りを天上に届けるためにひじょうに機能的な形をしているように思われる。歌声が、クーポラへ、その上にそびえる尖塔へ、一点に集められてそこからまっすぐに昇っていくようだ。

向かいの公園では蚤の市が開かれていた。吸い寄せられるように足を向けてしまう。リスボンに来てからというもの、魚のモチーフに魅了され続けている。昨日の蚤の市でも魚の形のマグネットや小箱を買ったし、素敵なラッピングが施されたイワシの缶詰も買った。またここでも魚の置物を買ってしまう。この地区の通りのファサードみたいなアズレージョのかけらも。

LXファクトリーという、ウェアハウスを改装した文化地区に移動し、雑貨屋や画家のアトリエを見て回り、ペソアの詩集を買った。メルボルンのフィッツロイのような雰囲気だ。路上でバンドが陽気な音楽を奏で、人びとは思い思いにステップを踏んでいる。誰もがこうして、感じるままの悦びを受け入れて素直に生きられたらいいのに。あれこれ見学しているうちに日が落ちてきた。

夜はファドの演奏を聴きにいこうと思っていたのだが、どうにも体がだるくて、ホテルに早々に戻ることにした。ベッドに倒れ込むやたちまち熱が上がってくるのが分かる。
あらゆる音楽には治癒の効果がある、と病床でファドを聴かせてもらうと、その旋律は哀しみを誘うほどうつくしく響いた。

その夜、熱に浮かされた頭の中に次から次へさまざまな色や模様のアズレージョのイメージが像を結んでは解け、融合しては溶解し、浮かんでは沈み、わたしは万華鏡のようなめくるめくアズレージョの世界に悪夢のように翻弄されていた。朝方まで、夢とうつつのはざまで奇妙なタイルの幻影に囚われ続けていた。

 

4日目
解熱剤を飲んでなんとか起き上がって、早朝の便に乗るために暗いうちにホテルを出る。リスボンはすばらしい場所だった、と反芻する。訪れたかった場所もまだいくつもあるし、絶対にまた戻って来なければならない!ほんとうに大好きな街だ。

マドリッドの自宅に着くと、解熱剤の効果が切れて再び熱が上がってきた。まどろみの中でまたアズレージョの夢にうなされながら、それでもやっぱりまだ醒めないでと願った。