ある滞西録

ドナウの真珠と川沿いの靴

ブラチスラヴァから、長距離列車に乗ってブダペストに移動した。

一夜明け、今日はクリスマスである。街角にはクリスマスマーケットの屋台が軒を連ね、華やかな雰囲気だ。ブダペストドナウ川ブラチスラヴァを流れるそれよりもずっと川幅が広く、ゆったりとしている。対岸のブダ地区は勾配の多い場所と見え、そのいちばん上で朝もやの中に鎮座するブダ城はえも言われず美しい。ブダペスト観光の見どころのひとつ、国会議事堂はこちら側のペスト地区に位置するが、これもさながら巨大な城のような荘厳さで岸辺に建っている。ハンガリー最大の建築物であり、欧州では二番目、世界でも三番目に大きな国会議事堂だという。

国会議事堂から川岸の遊歩道を南下する。川に沿ってランニングをする人とすれ違う。憩いの場と見え、男女が何組かベンチで語らっている。

その先にある「ドナウ川遊歩道の靴」を訪れることを、わたしの愛する大学時代の友人がすすめてくれた。1940年代風の、老若男女の靴を模したモニュメントが約60足、川岸にずらりと並んでいる。今しがた脱がれたばかり、という風体で乱雑に散らばっている。

反ユダヤ主義ファシズム政党が1944年の秋頃からハンガリーを統治しはじめ、猛火のごとくユダヤ人迫害を行ったそうである。そして川に面したこの場所にユダヤ人を並んで立たせ、背後から銃殺したそうだ。靴は金銭的価値があるため脱ぐよう指示し、軍があとから売り払ったという。背中を撃たれた人々はそのままドナウ川に落下した。死体をそのまま流してしまうために川岸が選ばれたのだという。2万人ものユダヤ人がそうしてここで殺されたそうだ。


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ドナウ川を前にして立つと、対岸のブダ地区が一望できる。ゴシック様式バロック様式といった、各時代の方法で建築された建物が混在し、この地区の歴史の古さを思わせる。さっき国会議事堂に行く途中に見たブダ城は相変わらず壮麗である。いつまでも佇んでいたくなる景色だ。「いつまでも」が叶わなかったユダヤ人たちのことを考える。

自分が靴を脱いで背中を撃たれる想像をしてみた。視線を落とせば水面は意外に近く、2メートルほど下には濁った茶色の流れがあった。ふと、そのまま飛び込んでみたくなるような衝動に駆られて、すぐに感情の栓に蓋をする。

女性用のパンプスのモニュメントに、一輪の薔薇が手向けられている。この靴の持ち主もまた、ここで命を絶たれてドナウ川に転落していったのか。靴をひとつずつ見ていく。ろうそくと、黄色い花。イスラエルの国旗がいくつか。ヘブライ語で何やら書かれたボードも置かれている。

わたしはハンガリーにおけるファシズムディアスポラユダヤ人迫害の歴史についてほとんど何も知らなかった。思考や感情にさざなみが立つとき、それを分析し説明を加えるべき言葉を持ち合わせないというのはつらいことだ。

靴たちに捧げられたイスラエル国旗をみて、彼らのアイデンティティの所在に思いを馳せると同時に、切り離しえぬパレスチナ問題にも意識がおよび、また別の苦しみが派生していることを考える。

帰りのトラムに乗ると『美しく青きドナウ』が流れる。いったい、わたしが今回の旅で目にしたのは人間の悲しき所業を見てきたドナウばかりであった。


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