ある滞西録

冬から春になる

■1月後半ぐらいから断続的に体調不良が続いている。突然熱がでたり、夜眠れないことがある。仕事は突如繁忙期になり息をつくひまもなく、わたしは重い身体と精神を自らの枷にしながら、欧州の暗い冬の底に沈んでいた。

夜、疲れ切って足取り重くオフィスを出ると、花束を抱えた人々とすれ違った。バレンタイン・デーだねと気づいて、こちらに来てからはじめてすこし涙が出た。感謝と愛をつたえる相手がいるということは素晴らしいことだ。素晴らしいことだったのだと思った。アパートに帰って、部屋の整頓をして、夕食のスープと肉の料理をこしらえた。自分も花を、買って帰ればよかったと思った。窓辺のガス灯の下に橙色の雪が舞いはじめていて、まだしばらく冬は終わりそうになかった。

 

■朝5時半には、街にパンを焼くにおいが立ち込める、ということを初めて知った。まだ暗い冬の早朝、空港に向かうためにマドリッドの自宅を出た。週末を使ってミラノに行く計画をしていた。路地裏はしんと寝静まってまだ夜の統べる世界のうちにあり、しかし通りを満たすふくよかなパンの香りが、これから始まる一日の確かさを予感させていた。

空港の待合エリアに着くと目に涙をためながらハンバーガーをかじっている女性がいた。泣き顔を隠すでもなく、遠くを見つめて静かに涙を落としている。それだけで十分印象的な朝だった。彼女の視線の向こうには人間たちの搭乗を待つ機体が並び、端から見ていくとヨーロッパやアフリカや南米やらのいろいろな国に籍を置くものであることがわかる。

トランジットのためにわずかな時間だけマヨルカ島に立ち寄る。機窓に目を遣ればちょうど朝日が顔を出し、眼下の街並みにドミノ倒しのように朝が広がりはじめていた。
農地がでたらめなパッチワークを描いていた。遠くには白い点々がいくつもあって、それがサイロなのか羊たちなのか判然としない。サイロと羊ではずいぶん大きさも違うはずだが、遠近感を失わせるほど漠とした平野である。クリーム色の家々は愉快な形の風車を備えている。

旅をすると、人間の営みがこの世界のあらゆる隅々にまであまねく存在しているという事実に毎度感動させられる。マヨルカ島もいつか必ず旅の目的地にすべしと思いながら、眼下の景色がジオラマになっていくのを眺めていた。

 

■東京も梅が咲きはじめたよ、と日本にいる先輩から写真が送られてくる。まさに「梅一輪一輪ほどの暖かさ」ですねと返信すると、海外に行っているのだから「主なしとて春な忘れそ」でしょうと思いがけず引き歌のように返ってくる。わたしは、こちらにいては「人はいさ心も知らず」の心境です、と思わず打ち込みかけて、卑屈さに嫌な気分になって文字列を消した。かわりの言葉が思いつかなくてまだ返信できずにいる。梅の季節も終わってしまう。

 

サン・セバスティアンの空港に降り立った瞬間、吸い込んだ空気のなかに海の近さを感じた。空は高くて、滑走路はだだっ広かった。そのとき突如として、今自分の生きている一瞬一瞬を誠実に丹念に味わって暮らしていかねばならぬのだ、という啓示に近い覚悟が、閃きのように胸に落ちてくるのを感じた。春先の風が、タラップを下る背中を押してくる。

今日は奇しくもカーニバルの週末で、街角は仮装した人々で溢れ、浮足立った空気に包まれていた。街は半島のような地形になっていて、歩けばすぐビーチに行き当たる。久しぶりに海の近くに来た。波が砂浜に寄せてきて、あとちょっとというところで何も未練のなさそうにくだけ散り、小さい白い貝のようになって海に還る。生成され続ける波頭に視線を集中させていると、なんとも言えず恍惚とした気持ちになってくる。

日が暮れるとにぎやかな音楽とともにカーニバルのパレードが始まる。楽隊と、カラフルな民族衣装に身をつつんだ人々の行列が、旧市街の細い路地を練り歩く。バルの軒先は人で溢れかえり、みな肩を組んで歌い、踊っていた。


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翌日。バスでひどい車酔いをした…と思っていたらそれが始まりで、2日前に食べた夕食が原因で食あたりに冒されていたのだった。その日は午後からホテルで伏せってしまった。

熱に浮かされながら見た夢の中で、わたしは駐在を終え帰国していた。たった2年きっかりで帰ってきたんだってね、あっちで使い物にならなかったらしいね。そんな声が聞こえる。なんだっていいんだ、なんと言われようと。ここがわたしのホームなんだから。わたしは不甲斐ない気持ちと、日本に帰ってほっとした気持ちのはざまで言いようのない無力感の谷底にいた。故郷の家族の顔が時折ちらついていた––そこで目が覚めた。枕元のデジタル時計が午前2時を示していて、現実のわたしはまだ駐在しはじめて4か月そこらしか経っていない。嫌な夢だ。果たしてあれは2年後の自分の姿なのだろうか。頭も体も熱くて、まともに思考ができなかった。知らぬ間にわたしはまた眠りの淵に引きずりこまれ、その後も完全に回復することのないままマドリッドに帰ったのだった。