ある滞西録

冬のおわり・週末の記録

■土曜日。10時頃まで惰眠を貪ったのち、運動をしようと思い立ってランニングシューズに履きかえた。

王立劇場を過ぎ、王宮前の広場を通り、孔雀のいる庭園を抜けて西向きに走ると、カサ・デ・カンポの湖に行き当たった。マドリッドにしばらく住むが、この湖まで来たのは初めてのことだ。今日はとても天気がいい。冬、南中高度が低いことの利点として、朝方のような貴重な雰囲気が昼過ぎまで続く、ということがあると思う。

 湖面が陽の光を受けてきらきらした光の道筋をつくっている。この湖はカヌーの練習場でもあるらしく、光の筋を櫂が混ぜていく。湖畔でアコーディオンを弾く人も、水面に浮かぶ水鳥たちも、静かに春の準備をする木々もすべてがうつくしく、あらゆる輪郭から生命の存在感がにじみでているように感じる。わたしが普段建物の中に引きこもっている間に、外ではこんなにも明るくて歓びに満ちた世界が展開していたとは、今まで損をしていた気持ちすらする。もう少し日が長くなったら、早起きを習慣づけようと心に決めた。

 湖を一周して、デボー聖堂の方に出る。デボー聖堂は紀元前2世紀の古代エジプトの神殿である。ダム湖に沈むという憂き目にあって、エジプトのアスワンからマドリッドに移設されたのだという(わたしは夕暮れ時にここに来てみたい)。実体として目前にある建造物のみを見ると飾り気がなくプリミティブで、何ということはなく視界を通り過ぎてしまうのだが、その謂れを知ると一気に物語が立ち上がるような気がする。世界のうつくしさに素直な感動を覚えながら帰路についた。

 

■日本から来た友人に会った。金曜の夜、バルの片隅で海老のアヒージョと冷たいトマトの薄切りをつまんだ。

アイスランドに寄ってから、スペインにやってきたのだと言う。同世代のライフステージが変化しつつあるタイミング、周囲からの無言の圧力、希薄化する仕事への熱意、一方でそれへの渇望。そんな話を聞きながら、わたしは彼のまとっている東京の空気を感じて、あの大都会での閉塞感を思い出して重い気持ちに包まれた。

記憶は美化されやすく、ネガティブな思い出は都合よく捨象されてノスタルジアに変化している。東京はたしかに素晴らしいだけの場所ではなかった。本質的にはそれは場所性の問題ではないのかもしれない。

 りっちゃんは不安になることはないの、いま充実感を感じる瞬間ってなに。わたしはもっともらしいことは何も言えなかった気がする。外国に拠点を移したとて、自分もまだ変わらぬ同じ混沌のなかにいるのだという自覚が、わたしの自己認識に暗い影を落としていた。

 夜は更け、いつのまにか立春の日が訪れていた。飲み屋が密集する帰りの小道では、人々がテラスで酒を酌み交わし、路上で肩を組んで歌い踊り、各々の喜びに満ちた夜を享受していた。あと数時間もすれば彼らの宴は終わり、めいめい帰路についた後はまたそれぞれの孤独のなかに戻るのだろうか。あるいはそれは、彼らを刹那性の象徴として捉えようとする、わたしの独善的な目線にすぎないのかもしれない。

 

■あの場所も、この場所も、行ってみたいと思っているところはたくさんあるが、いつか誰かと行くかもしれないと思って一人ではまだ行かずにいる。たとえばバルセロナ。たとえばパリ。そしてフィレンツェベネツィア。ベルリン。ヨーロッパのそこかしこを白地図のまま、わたしはいつまで残しておくことになるだろうか。いつかしびれを切らして一人でふらっと訪れているような気もする。