ある滞西録

クリスマス・イブのブラチスラヴァ

昨年の秋にスペインに居をうつしてから、仕事の休みを使っていくつかの周辺諸国に旅をした。

そのなかで、折にふれそれらの国がもつ近代の負の記憶にじかに触れたことがこの冬の収穫となっている。実はヨーロッパの国々を訪れるのはほとんど今回が初めてなのだ。

スロヴァキアの首都ブラチスラヴァのはずれにデヴィーン城という古い要塞がある。チェコの方からやってくるモラヴァ川が、ドナウ川に流れ込む地点に、寒々とした灰色の石壁を晒してそびえたっている。ローマ帝国の時代に築城され、その後も改修が加えられながら、ナポレオン戦争による侵攻で破壊される1809年まで、砦としての役目を果たしてきたのだという(ナポレオン戦争、と書いて改めて思うに、戦争に一個人の名前が冠されるとはどれほどのことだろうか)。

この川は国境でもあり、向こう岸はオーストリアである。そして、東西冷戦の時代にいわゆる鉄のカーテンが敷かれたラインでもあった。川のほとりに慰霊碑を見つける。鉄のカーテンをくぐり抜けようと川を泳いでオーストリア側に渡ろうとし、命を落とした何百というスロヴァキア人らを悼むものだという。その川幅に比して流れは比較的速く、岸の近くでは複雑な模様を水面に描いている。

オーストリア側の川岸に目をやれば、遊歩道で犬を散歩させている人の姿が見える。おーい、と叫べば、ともすれば聞こえもしそうな距離である。夕暮れのドナウ川はどこまでも雄大だ。否応なく流れ続け、あらゆる記憶もすべて飲み込んで何もなかったように風化させる点において、水の流れは時間の流れに似ているような気もする(ここで風、という文字が表れるのはまた面白いことだと思う)。

ローマ帝国ハプスブルクオスマン帝国ナポレオン戦争、東西冷戦。デヴィーン要塞は千年近くの間この場所であまたの動乱を目撃し続け、ドナウ川には夥しい数の人間の血が流されたのだが、それも史実が残すのみで、目前に横たわる大河は当時の喧騒など到底信じがたいほどに穏やかな表情を見せていた。

大きな河川を前にする時、いつも、ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず、というかの有名な一節が浮かぶ。確かにそこに存在しているのに、確たるかたちがないこと。訴えどころのない寂しさに襲われつつも、一瞬たりとも形を結ばず変化し続ける姿から目を離すことができず、見いってしまう。往々にして自然界の造形に関し畏れと美は渾然一体だとふと思う。

かつ消えかつ結ぶ川面の泡沫にしばし心を奪われ続けたのち、ああ今日はクリスマス・イブだとようやく思った。